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6年前のこのシーンからすべては動き出したのです!

最初に上籾の住民の皆様に、これから進めていきたい事業の計画案をお話させていただいたのは、今から6年前くらいだったと思います。

 

現在の協議会の監査役でもある森尾賢治さんが住民の皆様にお声がけしていただき、上籾公民館に60名くらいお集まりいただきました。

 

冒頭に森尾さんが、
「この人達は、(当時、もう一人、パソナ関係者がサポートとして一緒に来てくれていました)私たちや役場にコンサルに入るからお金がいるとか言ってるんじゃない、ここの現状を一緒になってなんとかしたい、色々な方法も考えて限界集落から脱して、耕作放棄地もなんとか改善していこうというて来られとるんじゃ。話を聞いて、意見を色々言うのは自由じゃが、反対するならもっといい代替え案をゆうてくれ!反対だけするものは、ここから出て、猪と一緒にでも暮らしてくれ!!いいかな、それでは、貝阿彌さん説明してください」
からスタートしたのです。

 

その時、将来の目指す姿として「上籾リトリート構想」をお話したのですが、このような初めての顔合わせで、かなり飛躍した将来像(将来のことをお話するなら、一番理想とした、「こうなったらいいなぁ」の一番を話した方がいいかなと思いましたので)に、皆さん不思議なものを見るように事業計画案の将来絵図を見ていたことを思い出します。

 

そのときの感想は、まるでドラマのようで(当時、NHKで「限界集落」という番組がありましたが、リアルな番組のよう)、皆さんの不思議そうな顔は今でもよく覚えています。

 

こんなんで伝わったのかな!?と不安もありましたが、そのあとの懇親会で、皆さんと心打ち明けて、よく話し、焼酎ロックやヘビーな郷土料理は(猪の肉はたべたことあるけど、野鳩の姿焼き、野兎のミンチは初めての食感でした)かなりディープなものでした。

 

その後会場は盛り上がり、その場で協議会をつくろう!ということで、いっきに話がまとまったことは、今でも忘れられないシーンです。

 

そして、この5年間、色々なことがあり、うまくいったことも、やれると思ったのに進まなかったことも、「まさか、こんなことで身内から足引っ張られるかぁ!」と思ったこともありましたが、運のいいことに現在なんとか事業は継続し、仲間も増えてきています。

 

そして、一番最初に私が上籾の皆さんに目指す将来像として、もっともここにふさわしいと思った事業案「上籾リトリート(転地療法)」は、今年増築、リニューアルするレストランからまず本格的にスタートします。

 

「あのとき、わけがわからなかったかもしれないけど、私が言ってたのは、これだったんですよ!」と言える日が近づいていること、私が最初に描いたビジョンは変わらずに、皆さんと一緒にすすんでいるんです!と言いたいのです。

 

このドラマはここからが本番です!起こったことを飾らず、そのままをこのブログに綴りたいと思っています。

 

貝阿彌 敏美
この記事の作成者について
【貝阿彌 敏美】 詳細プロフィールをみる

岡山県美咲町出身。岡山県久米南町上籾にて、地域協議会「上籾みろく農場協議会」を上籾自治会と立ち上げ、農村文化の継承、新たなビジネスモデルの構築に取り組んでいる。